涅槃会に考えること

2月15日はお釈迦様のお亡くなりになった日、涅槃会です。

感應寺では、一般の方々にご案内しているわけではないのですが、
本堂に涅槃図(江戸時代から伝わる)を掛けて、法要を執り行いました。
ご法事や参拝された方にはお目にかかったと思います。

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(周りの尊者だけでなく、餓鬼や畜生も嘆き悲しんでいる様子がわかります)

さて、お釈迦様はどうしてお亡くなりになったかご存じですか?
いわゆる「死因」は食あたりだったといわれています。
今これほど多くの人々にあがめられている釈迦も超越的な話もなく
あっけなく亡くなられたのかと思うと、ちょっと意外な気がします。

人は生きるときにその基を選べず生まれてくるのですが、
死もまた選べずに亡くなるのが常であるといえます。
しかし、死するまでの間にその人がなにを行ってきたか、
それこそに涅槃への道があると釈迦は説かれました。

ただ、死を自ら選ぶ方法を人間が持っているのも事実です。
仏教では死を選ぶことをキリスト教の様に悪とは見なしてはいません。
では、釈迦の教えでは自死をどのようにとらえているのか?
佐々木閑「日々是修行」から一節を引用してこの終わりのない
疑問を考える一助にしたいと思います。

ただそれは、せっかく人として生まれて自分を向上させるチャンスが
あるのに、それをみすみす逃すという点で、「もったいない行為」なのだ。



雪が積もりました。

1/13は早朝から雪が降り出し、
南国鹿児島も久しぶりに雪景色になりました。
感應寺もごらんのように辺り一面真っ白でした。

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どのくらいぶりに大雪になったのか忘れてしまうので
過去の写真を引っ張り出して探してみました。
前回2004年1月22日の写真です。

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このときは、道路も大雪がつもり車が立ち往生
している場面を多く見たのですが、今回はそれほど
ではなかったような気がします。

いずれにせよ、大人になっても雪が降ると、
こんなタイトルの題でいろいろ気持ちが高ぶるのは、
北国の方には理解しにくいのかもしれませんね。

皆既日食の様子

昨日 7/22は皆既日食ということで、
鹿児島県内では曇り空の中、ほんの少し
太陽が顔を見せた場所もあり、多くの人たちが
家から出て、何かしら空を見上げている
光景が多く見られました。

写真は、光が反射して三日月の形になっている
様子です。日食中にふと壁を見て気づき、
思わず携帯のカメラを向けたものです。

いよいよ夏も本番です。
皆様体調には十分にお気をつけ下さい。

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梅の花道

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ご存知の方もおられるかも知れませんが、
旧野田町には「野田音頭」と呼ばれる唄があり、
夏祭りなどで皆さんで踊る姿が昔からありました。

その2番にでてくるのが、
「梅の花道、五廟社行けば、・・・あの感応寺」
この歌詞にも出てくる、五廟社(島津家墓地)に
つながる梅の参道です。
藤川天神などの梅の名所ほどはありませんが、
昔から知られている、この梅の参道、実はここ
数年虫食いなどの被害を受けて、枯れかかって
いる木が続出していました。

今回、篤志の方のお話を受けて、梅の植え替えを
行っています。以前のような梅の参道が完全に
戻ってくるまでは、数年を要するようです。

師走の感應寺

ブログの更新が滞って申し訳ありません。

感應寺もあっという間に師走を迎えました。
下の写真は昨日のお寺の様子です。
鹿児島は暖かいこともあり、イチョウが落ちる
季節はここ数年師走に入っています。
(昔は勤労感謝の日ぐらいからでしたが・・・)

年末にかけて少しづつブログを再開していきます。Dscf2036